THE HOT SEASON

 夏期講習から帰ると、玄関に、出かけるときにはなかった女物の靴が2足並んでいた。
靴の脱ぎ方って性格が出るもんだな。
ひとつはきちんと並べられてまっすぐドアの方を向いている。ひとつはいかにも脱ぎ散らかされたままといった風に、お互い関係ない方向を向いている。
どちらの靴にも見覚えがあった。まるで見ているうちにそれぞれの持ち主の顔が勝手に浮かびあってくるようだった。

 リビングから女性同士の話し声がする。靴の持ち主2人の声に間違いなかったが――この2人が話している、という意外性にどきりとした。
「お、お帰り」
 威勢良くこちらを振り向いて挨拶したのは――散らばっている方の靴の持ち主、俺の姉だった。
大学に入ってからここを離れて一人暮らしを続けていて、休みに入ってもなかなかこっちに戻ってこなかったのが、ようやく実家を思い出したらしい。
「あ――おじゃましてます」
 もう一人の方が、ぴょこんと頭を下げた。実際にはこっちの方がほとんど毎日のように来ているのだが――高校の時の同級生、藤掛理沙子だった。
「じゃ、お姉さん、これで…」藤掛は座っていた椅子を引いて立ち上がった。「秋山くん、行こっか」
 別にどこかに行こうと約束していた訳ではない。行き先は俺の部屋だった。
この春、俺が大学受験に失敗して以来、藤掛は頼みもしないのにほとんど毎日のようにやって来ては俺の勉強を見るようになっていた。

「信一」藤掛と一緒に階段を上がりかけた俺を後ろから姉が呼び止めた。
「なんだよ」
「ちょっと…」
 なんだかほくそ笑むようにしながら手招きする。あの顔は…。
過去にも何度も立ち会った悪寒にふるえていると、藤掛は「じゃ、わたし先に…」と勝手知ったる2階の俺の部屋に向かっていった。

 ひとりになった俺は仕方なく姉の方に歩いていった。ボーイッシュで男勝りの姉は、姉弟ということを抜きにしてもあまり女って感じがない。
「みゆき」なんてかわいらしい名前を持ってるけど、お世辞にも似合ってるとは言いがたかった。
「彼女できたんなら言ってよぉ、水臭いなぁ」
「か、彼女って訳じゃないよ…」
「なに言ってのよ。あの子があんたを見る目、あれ、ぜーったいあんたに気があるって。
それに、夏休みだってのに毎日こっち来てんだって。もう、隅に置けないなぁ」
 
 もう顔中に好奇心をみなぎらせながら執拗に食い下がる。いったい今まで2人で何話してたんだか――。
藤掛のやつ、あんな性格だから…姉貴と初めて話すことで舞い上がって、すべてまっ正直に答えちゃったんじゃないだろうな――。
 実際、彼女の気持ちは痛いほど知っていた。それに俺だって…。
しかし、もうこんな風になって半年あまりになるのに、俺たちの関係は今だなんとなく宙ぶらりんのままだった。
(それというのも、あいつが"委員長"だからだよなぁ…)
 
 "委員長"というのは藤掛の高校時代のあだ名だった。
おとなしくて、いつもどこかぴっしりとしているような所から誰ともなく言い出したものだけども、藤掛の性格をこれ以上言いあらわす言葉はない。
それがすっかり板について逆に自然に見えてしまうほどだった。
 去年の暮れ頃からだんだんにつきあうようになってきて、今年の正月、2人はお互いの気持ちを確かめ合った。
そこまではまぁ順調だった。しかし――その時に勢いでしてしまった約束が、今だに尾を引いていた。
(「ね、そして一緒に合格して、おんなじ大学に行こう。そうしたらその時は――」)
 ああ落ちたよ、ものの見事に全滅だった。でなきゃ今ごろこんな風に夏期講習になんか行ってねーよ。
 それにしたって、俺の気持ち分かってんだから、ちょっとぐらい羽目はずしたっていいじゃないか、って思うんだけど
――なかなかそういうものでもないらしい。女心はよくわからん。
 ――まあ、そういう性格もひっくるめて惚れちゃった俺がいるんだが。

「久しぶりに帰ってみたら誰もいないしさ、しかたなく留守番してたらいきなりあの子が来るんだもん。びっくりしちゃった。
――でもほんといい子ねぇ、礼儀正しくて。わたし気に入っちゃった」
 姉貴の奴、なおも続けてる。
「それにあの胸。すごいじゃん。いったいあんた何カップ?って感じ。あれ絶対特注だよ。――で、もうさわった?」
 俺のそんな思考を無視して、姉貴のやつはさらに突っ込んでくる。止めようがない。
「うるさい。そんなこと弟に聞くなよ」
「わー照れてる。こりゃまだだな」
 あんたこそ男っ気まったくないじゃないか、と言い返したかったが、間違いなく血を見ることになるのでぐっとその言葉を呑みこんだ。

 ――俺がこの春、大学に落ちて浪人が確定して以来、藤掛はほとんど毎日のように俺の家に顔を出すようになっていた。
歩いて15分という近所だったてこともあったけども、正直こうも続くとは思っていなかった。それは夏休みに入っても変わらない。
 藤掛は俺と違って、見事に第一志望の大学に一発で合格している。
ふつう大学1年の夏休みといえば、サークル活動やバイトなんかをここぞとばかりに詰め込んでヒマなんかないんじゃないかと思うんだが、
彼女の場合そんな気配はまるでない。
おそらく普段も講義が終わるとまっすぐ俺の家に来てたんじゃないかと思うんだが、
休みに入ると俺の夏期講習が終わる時間を見計らって待ちかまえて来るようになった。
 そんな様子を見れば、傍から見れば2人がつきあっていると誰だって思うだろう。
しかし実際は、毎日一緒に勉強しているだけであって、2人の間になんの進展もなかった。要は今だ"清い関係"だったのだ。

 逃げるように自分の部屋に駆け込むと、藤掛はいつものように俺の机の隣に腰掛けて待っていた。そして俺の顔を見るなりさも嬉しそうににっこり笑う。
(今日の藤掛って…)
 机に向かうと、すぐ横に座った藤掛の胸がいやでも目に入ってしまう。
さきほど姉貴も言ってたように、実際、藤掛の胸はとてつもなく豊満だった。
"委員長"ってあだ名(本当は図書委員だった)からもわかる通り、藤掛は見るからに地味で真面目そうだった。
おっきな眼鏡を常にはずさない事もその印象を助長しているかもしれない。
しかしそんな容貌とはうらはらに、バストだけは学内で1、2を争うほど目立ちまくっていた。
しかもその胸には家族のほかはおそらく俺しか知らない秘密があって…
そのせいもあって今年に入ってからだけでもどんどん大きくなっていっているのだ――。
 さっきは姉の攻撃をかわすのに精一杯でろくに見ている余裕などなかったが、
こうして2人っきりになってみるとどうしてもその胸が気になってしょうがない。
いつもはおとなしいブラウスとかばかりなのに、今日の格好はどうも思いっきりめかしこんでいるみたいだった。
女の子の服にあんまり詳しくないからよく知らないけども、
タンクトップのようなものの上に薄い半透明のひらひらした布地がまとわりついて、胸元までを覆っている。
その薄ものを通してとはいえ、大きな胸の谷間がほとんど丸見えだった。肩も丸出しで、地肌がほどよく日に焼けている。
さらによく見ると、顔にうっすらとだが化粧もしているようだ。
地味を絵に書いたようないつもの藤掛を見慣れているから、こんな思い切った大胆な格好をされるとドキリとする。
 見慣れぬめかしこんだ姿につい見とれてしまうと、本人はちょっとおどおどしたように、
しかし何か言いたそうに口をうごかしかけた。けど結局何も言わない。
 胸からどうにか視線を外すと化粧している顔がめずらしいのでついまじまじと見つめてしまう。
すると藤掛の方もちょっと恥ずかしげにもじもじとした後、訊かれてもいないのに勝手に喋りはじめた。
「あの――少しは紫外線気にした方がいいよって…こないだ恋ちゃんに言われたから…」
「恋ちゃん?」
「大塚さんだよ、同じクラスだった。この前ここに来る途中で偶然会ったんだ」
「あ、あの大塚か」途端にあの意志の強そうな眉と快活な笑顔が浮かんできた。そしてその胸も――。
そう、大塚恋は藤掛に勝るとも劣らぬ爆乳の持ち主だった。どっちが大きいんだろう、と男だけが集まると密かに話し合ったものだ。
ただ、藤掛が教室の隅っこにじっと座って本を読んでいるようなイメージだったのに対して、
大塚は常にクラスの中心でムードメーカーになっているような所があった。
明るくさっぱりとした性格でけっこうファンも多かったんだが――不思議と誰かとつきあってるとかそういう噂はぜんぜん聞かなかったな…。
「元気そうだった?」
「うん。弟くんと一緒でさ」
「あ、あいつ弟いたんだ」
「憶えてない? 正太郎くん。ほら、去年文化祭で喫茶店やった時に来たの」
 そういえば思い出した。年が離れているらしくすごい小さかったけど、まるで女の子みたいにくりっとしたかわいらしい目をしてたっけ。
「ああ、そういえばいたいた。来た途端、大塚にべったりくっついて離れようとしなかったちっこいの」
「そうそう。すっごいお姉ちゃん子みたいでさ、こないだもしっかり手つないでたよ。相変わらず仲よさそうだった」
「ふーん」
「でさ、その時言われちゃったの。若いからって今の季節の紫外線をあなどっちゃいけないって。だから――その…」
 でもそれだったら、いつもよりずっと露出の多いこの服装は…。
顔だけ気をつけてもしょうがないんじゃないの? とつっこみたくなった。
その言い訳がましい口調自体が、本当の理由は紫外線なんかじゃないことを物語っていた。


改めて指摘されるのは恥ずかしいけども、気がつかれなかったどうしよう――と妙に心配しているような複雑な気持ちらしかった。

「秋山くん。じゃ、さっそく復習しよ」
 なんていい笑顔で言うんだよ。それじゃツッコミのひとつも言えないじゃないか。
俺は仕方なく自分の机に向かって今受けてきたばかりのテキストを出した。
「今日は英語と世界史だったよね」
 授業のスケジュールまで全部暗記してやがる。予備校のテキストをぱらぱらとめくる手つきも堂に入っていた。
 実際一緒に勉強してみると、藤掛が本当に勉強ができることが痛いほどよく分かる。自分との学力の差も。
現役の時は、ま、なんとかなるさと高をくくっていたけれど、今では、よく第1志望におんなじ大学を言ったもんだと恥ずかしくなる。
正直言って俺は大学受験を舐めていたのだろう。
 そんな俺に対して、藤掛は自分の時間を削って親身に勉強を見てくれた。
それは本当に感謝している。おかげでなんとか本当の意味での学力を身につけてきている、と最近になって思うようになってきた。
 それでも――こうも毎日一緒に机に向かっていると、たまにはパーッと外で発散したくもなる。
考えてみれば去年の今ごろはまだ、毎日グラウンドに出て必死でボールを追ってたんだよな。
暑かったけども、自分の体の内側がそれ以上に燃えていて全然苦にならなかった。今年はただ暑いだけだ。最近、あの頃の事が無性になつかしい…。
 そんな気持ちを押し殺して視線を藤掛に向けると――俺の目はどうしても彼女の胸に釘付けになってしまっていた。

(「ドキドキすると――おっぱいが大きくなっちゃうの」) あの時藤掛は恥ずかしそうにそう言った。
俺も目の前で見たから間違いないけども、この冬から夏にかけてだけでも、藤掛の胸はさらに目に見えて成長していっている。
机の上には――まるで特大のスイカをまるごと2つごろりと転がしたようなふくらみが無造作にのっかっていて、
薄手のタンクトップからあふれ出そうなほどむっちりと盛り上がっている。
テキストを持つ手もじゃまそうだった。それがスイカでない証拠に、藤掛が体を動かすごとにぷにぷにともちのようにやわらかく動いているのだ。
 ただ1度、思いっきりこの胸をもみしだいた時の事を思い出す。
ブラの上からだったにも関わらずちょっと触っただけで脳みそが吹っ飛びそうなほどの強烈な衝撃だった。
あの時と比べても、藤掛の胸ははるかに増量している。今、さわったら、どんな感触だろう――。
 感謝の気持ちに嘘はない。けど――言い訳じゃないけど、俺だって18歳の健康な男子なんだ。
こんなものがすぐ手を伸ばせば届くところにあって、変にならないほうがおかしい。なのにじっと見ているしかできないだなんて…。
 さらに肌の露出が格段に多い今日の格好は、藤掛の魅力を何倍にも増幅していた。
おそらく本人は単におしゃれしたい女心のつもりなんだろう。しかし俺は――気になって勉強どころじゃなかった。 注: 文字用の領域がありません!
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